僕の心は芯から虐待児の血に染まっていました。
表面的には親と兄を憎んでいました。
それは殺意と呼んでも構わないほどに。
そして、その気持ちはウソでは無かったと思います。
それでも・・・どこかで諦められない気持ちがあったのだと思います。
あの時は楽しかったはず、とか。
あの時は嬉しかったはず、とか。
あの時は笑っていたはず、とか。
下らない思い出が僕が幸せだったんだと、思い込ませていました。
18年も生きていれば、一日ぐらい親から愛情を貰った日があったかもしれない。
その思い出にすがり、親から愛されていたと思いたかったんだと思います。
殺意を感じる相手から、愛情を受けたい。
激しい矛盾でした。
どちらが本音かと言えばどちらも本音でした。
そして、事実を冷静に見れば僕は間違いなく虐待児だった。
どうして虐待されるかと言えば愛されていなかったから。
感情を取り除いて事実だけを見れば、答えは悲しいほど簡単に出ました。
心の底に堅く封をして、閉じ込めていた小さな希望さえ捨てることになりました。
親からは愛されていなかったのだと認める事。
愛情ではなく虐待を受けて育ったという事。
この事実は僕に惨たらしい程の傷を負わせました。
これを思った時、悲しかったんだ。
本当ならば親は子どもを愛すべきで。
ごく普通の家庭ではそれは当たり前で。
そんな当たり前の事さえして貰えなかった事が悲しかった。
暴力と暴言に破壊された心は二度とは元には戻らないでしょう。
父親が、母親が、兄がしてきた虐待という傷はそれだけ深いのでしょう。
冷静に見てると、また解離してました。
PTSDと戦う決意をしたのに、あの時の僕は今にも折れそうでした。
死にたかった。
自殺願望が激しくなり始めました。
今すぐに死ななきゃ・・・。
それでも大切な友達を悲しませたくない。
それで何度も何度も自殺を諦めました。
虐待児としてのスタートは絶望に満ちたものでした。