家庭でのストレスが原因だったのでしょう。
遂に僕のクラスは学級崩壊をしました。
同じような家庭に産まれた同級生が多かったのです。
騒ぐ事だけしかストレスの抜け口が無かったのでしょう。
もちろん、それだけでは不十分なものでしたが。
授業はもちろん出来る状態ではありませんでした。
暴力、陰口、虐めに塗れたクラスはもう元へ戻る事は出来ませんでした。
溢れ返る負の感情を誰も止める事は出来ませんでした。
騒いで何かを必死に隠そうとしていたのかもしれません。
僕と友達のKはその中心にいました。
軽率で愚かだったと思います。
Kの家も複雑でした。
父親がアル中だったようです。
中学時代に聞いたのですが、家に帰ると暴力の嵐がKを待っていたそうです。
でも当時は僕もKも誰にも相談なんて出来なかった。
吐き出すという事を知らなかった。
お互い逃げ道の無い地獄を味わってきたのだと思います。
クラスが完全に崩壊し、間もなく家庭訪問が始まりました。
それぞれの家庭で先生がクラスの状況を伝えたのです。
それから涙も流せない程の苦痛が僕を襲う事になります。
2007年5月17日木曜日
絶望は恨みへ
小学校四年生の時、僕は大人への信頼感を全く失ってしまったのです。
大人に対して深い絶望と激しい怒りを感じるようになりました。
虐めを放っておく先生、理不尽に子供を殴る母親、酒に酔って暴れる父親。
あの頃は大人なんて誰も信用する気なんて無かったです。
奇しくも僕と同じような家庭に生まれた友達がクラスに居ました。
あの怒りと絶望が伝わったのでしょうか。
自然とクラスは崩壊していきました。
学級崩壊というやつです。
中心には僕とその友達、あとは騒ぎたいだけの奴らが居ました。
大人になんかこの苦しみは分からない。
言葉にしなくても行動で十分、その思いは伝わったと思います。
授業なんて成り立たず、ずっと騒いでいました。
同級生でも文句を言う人は誰もいませんでした。
言えなかったのかも知れませんが。
もちろん、行動自体は自分勝手な思い込みからの軽率な行動だったと思います。
僕のクラスの学級崩壊はすぐに学校の問題になりました。
色々な先生がHRでやってきました。
色々な話をしてくれました。
その全てが信用できなかった。
激しく歪んだ心を制御する方法がまだ分からなかったのでしょう。
あの時に出来た事はとにかく恨む事だけでした。
その思いは消えることなく、中学卒業まで僕の中で燃え続ける事になります。
あの時が家庭から溢れた毒が学校を汚染した瞬間だったのだと思います。
大人に対して深い絶望と激しい怒りを感じるようになりました。
虐めを放っておく先生、理不尽に子供を殴る母親、酒に酔って暴れる父親。
あの頃は大人なんて誰も信用する気なんて無かったです。
奇しくも僕と同じような家庭に生まれた友達がクラスに居ました。
あの怒りと絶望が伝わったのでしょうか。
自然とクラスは崩壊していきました。
学級崩壊というやつです。
中心には僕とその友達、あとは騒ぎたいだけの奴らが居ました。
大人になんかこの苦しみは分からない。
言葉にしなくても行動で十分、その思いは伝わったと思います。
授業なんて成り立たず、ずっと騒いでいました。
同級生でも文句を言う人は誰もいませんでした。
言えなかったのかも知れませんが。
もちろん、行動自体は自分勝手な思い込みからの軽率な行動だったと思います。
僕のクラスの学級崩壊はすぐに学校の問題になりました。
色々な先生がHRでやってきました。
色々な話をしてくれました。
その全てが信用できなかった。
激しく歪んだ心を制御する方法がまだ分からなかったのでしょう。
あの時に出来た事はとにかく恨む事だけでした。
その思いは消えることなく、中学卒業まで僕の中で燃え続ける事になります。
あの時が家庭から溢れた毒が学校を汚染した瞬間だったのだと思います。
2007年5月15日火曜日
伝染
兄が学校で虐められ始めてからニ、三年ぐらい経った時でしょうか。
虐めの対象は長男だけでなく次男にも向けられました。
「アイツな○○の弟だぜ~!気色悪ぃなぁ!あはははは!」
そんな事を言われる姿は日常と化すのに時間は掛かりませんでした。
虐めは伝染していったのです。
その頃からでしょうか。
僕ら兄弟の性格は著しく変わっていきました。
長男は極端な無口に。
次男は学校では無理をして笑っていましたが、家ではあまり話さなくなりました。
三男の僕は学校では明るく装い、家では無口でした。
僕は自殺する事をいつも考えていました。
長男と次男への虐めを見て居たくなかったし、両親も喧嘩ばかり。
時には殴られたり、喧嘩の道具にされたり。
学校でも家でも心の休まる時なんて無かったです。
全てに疲れ果てていたのだと思います。
小学校三年生の時です。
少しずつ溜まる負の感情は、爆発する時を待っているかのようでした。
同級生になんて相談出来なかったし、先生だって信用出来なかった。
その頃から僕は大人を激しく恨むようになりました。
虐めを放っておく先生、喧嘩ばかりの両親。
僕の中での大人の価値はゴミ以下でした。
その思いが行動に移るのに時間は必要ありませんでした。
虐めの対象は長男だけでなく次男にも向けられました。
「アイツな○○の弟だぜ~!気色悪ぃなぁ!あはははは!」
そんな事を言われる姿は日常と化すのに時間は掛かりませんでした。
虐めは伝染していったのです。
その頃からでしょうか。
僕ら兄弟の性格は著しく変わっていきました。
長男は極端な無口に。
次男は学校では無理をして笑っていましたが、家ではあまり話さなくなりました。
三男の僕は学校では明るく装い、家では無口でした。
僕は自殺する事をいつも考えていました。
長男と次男への虐めを見て居たくなかったし、両親も喧嘩ばかり。
時には殴られたり、喧嘩の道具にされたり。
学校でも家でも心の休まる時なんて無かったです。
全てに疲れ果てていたのだと思います。
小学校三年生の時です。
少しずつ溜まる負の感情は、爆発する時を待っているかのようでした。
同級生になんて相談出来なかったし、先生だって信用出来なかった。
その頃から僕は大人を激しく恨むようになりました。
虐めを放っておく先生、喧嘩ばかりの両親。
僕の中での大人の価値はゴミ以下でした。
その思いが行動に移るのに時間は必要ありませんでした。
2007年5月14日月曜日
届かない叫び
兄は学校で虐められ始めました。
それでも学校へは休まずに行っていました。
でも、耐え切れなくなったのでしょう。
小学校三年生の時、兄は学校を休みたいと親に言いました。
父は激怒し、兄を殴り倒しました。
そして、殴り終えて兄に言った言葉は
「下らねぇ事言ってねぇでさっさと学校行って来い!」
でした。
兄は小学校三年生、たった9歳の子供でした。
それから兄は二度と学校の事は家で言わなくなりました。
黙って学校へ行っていました。
何事も無かったかのように毎日が過ぎていきました。
家では毎晩、酒に酔って両親が喧嘩をしていました。
僕が7歳の時には皿の割れる音なんて聞き飽きていました。
それでも喧嘩の度に震えと涙は止りませんでした。
次男と2人で黙って押入れに隠れる作業はもはや日課となっていました。
お互いを貶し合い、子供の前で何度も離婚をすると叫ぶ姿は本当に壊れた家庭を象徴するものでした。
子供の僕達に出来る事なんて何もありませんでした。
ただ時間が過ぎるのを待つばかりでした。
そしてまた朝が来て、学校へ行って、夜になって・・・の繰り返しでした。
きっとこの頃には僕ら兄弟の心は修復不可能なまでに破壊されていたのだと、今になって思います。
それに追い討ちを掛けるように、さらなる絶望が僕ら兄弟を待っていました。
それでも学校へは休まずに行っていました。
でも、耐え切れなくなったのでしょう。
小学校三年生の時、兄は学校を休みたいと親に言いました。
父は激怒し、兄を殴り倒しました。
そして、殴り終えて兄に言った言葉は
「下らねぇ事言ってねぇでさっさと学校行って来い!」
でした。
兄は小学校三年生、たった9歳の子供でした。
それから兄は二度と学校の事は家で言わなくなりました。
黙って学校へ行っていました。
何事も無かったかのように毎日が過ぎていきました。
家では毎晩、酒に酔って両親が喧嘩をしていました。
僕が7歳の時には皿の割れる音なんて聞き飽きていました。
それでも喧嘩の度に震えと涙は止りませんでした。
次男と2人で黙って押入れに隠れる作業はもはや日課となっていました。
お互いを貶し合い、子供の前で何度も離婚をすると叫ぶ姿は本当に壊れた家庭を象徴するものでした。
子供の僕達に出来る事なんて何もありませんでした。
ただ時間が過ぎるのを待つばかりでした。
そしてまた朝が来て、学校へ行って、夜になって・・・の繰り返しでした。
きっとこの頃には僕ら兄弟の心は修復不可能なまでに破壊されていたのだと、今になって思います。
それに追い討ちを掛けるように、さらなる絶望が僕ら兄弟を待っていました。
2007年5月13日日曜日
地獄の始まり
兄は大手術を終え、無事に帰宅しました。
それでも完治するまで9年も掛かりました。
手術痕も背中からお腹にかけてと大きなものでした。
それでも何とか繋ぎとめた命に親は喜んでいました。
あれは兄が小学校二年生ぐらいの時だったと思います。
お腹の傷が原因で兄は学校で虐め始められました。
プールの授業の時だったそうです。
傷を同級生が見てからかい始めたのだそうです。
その日、兄はとても落ち込んで帰ってきたのだそうです。
でも、親にも兄弟にも何も言いませんでした。
言えなかったのでしょう。
病気でたくさん心配を掛けたから、これ以上迷惑を掛けるのはやめようとしたのだと思います。
でも、その努力はすぐに泡となります。
兄は毎晩、悪夢にうなされる様になったのです。
親は最初は病気の事がトラウマになっているのだと思っていました。
ですが、兄が寝言で言っていたのだそうです。
「この傷がそんなに面白いのか!」と。
三人兄弟の内、一番最初に壊れたのは長男でした。
それでも完治するまで9年も掛かりました。
手術痕も背中からお腹にかけてと大きなものでした。
それでも何とか繋ぎとめた命に親は喜んでいました。
あれは兄が小学校二年生ぐらいの時だったと思います。
お腹の傷が原因で兄は学校で虐め始められました。
プールの授業の時だったそうです。
傷を同級生が見てからかい始めたのだそうです。
その日、兄はとても落ち込んで帰ってきたのだそうです。
でも、親にも兄弟にも何も言いませんでした。
言えなかったのでしょう。
病気でたくさん心配を掛けたから、これ以上迷惑を掛けるのはやめようとしたのだと思います。
でも、その努力はすぐに泡となります。
兄は毎晩、悪夢にうなされる様になったのです。
親は最初は病気の事がトラウマになっているのだと思っていました。
ですが、兄が寝言で言っていたのだそうです。
「この傷がそんなに面白いのか!」と。
三人兄弟の内、一番最初に壊れたのは長男でした。
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