PTSDと向き合う事を決意したのは大学一年の春でした。
そして、最初にやろうとした事。
それは・・・感情を取り戻す事。
生まれてから18年掛けて付いた傷は、僕から人間らしい感情を奪っていました。
何も感じない。
まるで自分がロボットのように。
何に対しても反応を示さないんです。
ただ、辛さだけは感じる。
何も感じない辛さ。
それは底無しの絶望感となり、僕を包んでいました。
何が辛いのかさえも解からない。
そんな状態でした。
何をすれば良いのか解かりませんでした。
ただ、自殺だけはしないようにするだけ。
あの時の僕にとって自殺はとても魅力的なものでした。
全ての辛さから解放される最後の手段だったんです。
でも、僕は生きる事を選んだ。
たとえ、それが辛く険しい道であっても。
なぜなら、大切な友人を悲しませたくなかった。
だから、耐える道を選んだ。
本当は・・・助けて欲しかった。
誰かに理解して欲しかった。
18年掛け、虐待され続けた僕の心を理解するなんて無理だと解かっていても。
それでも理解してほしかった、否定しないで欲しかった。
なによりも・・・。
親から愛されたかった。
心の何処かでまだ期待していたのかもしれません。
もしかしたら親や兄は僕を愛してくれていたのかもしれない。
僕が忘れているだけで大切に思っていてくれたのかもしれない。
しかし、現実はその淡い期待をクズのように捨てさせました。
現実は・・・今まで家であった事は・・・決して僕を愛しての行為じゃなかった。
ただ殴るだけのモノに過ぎなかった。
ただ罵るだけのモノに過ぎなかった。
ただ怒りを発散させるモノでしかなかった。
現実はあまりに冷酷に、僕に突きつけられました。
それでも涙は出なかった。
悲しかったんだろうなぁ~、とまるで人事のように思っていました。
まだ解離性障害だという事が解からなかったのでしょう。
僕はPTSDだけでなく、様々な精神障害を抱えてしまった。
PTSDと向き合う決意をしたのに、僕の前には絶望が広がっていました。
2007年11月23日金曜日
PTSD
PTSD。
心的外傷後ストレス障害というのが日本名だそうです。
主に虐待児、性被害者などに表れる精神障害なのだそうです。
僕はPTSDなんだ・・・。
それを告げられた時は大きな衝撃と、少しの安堵感がありました。
自分が狂っていた訳じゃない、ちゃんとした病気だったのだと思えたからです。
それから狂ったようにPTSDについて調べ上げました。
PTSDチェックリストもやりました。
ほとんど全てに当てはまりました。
チェックリストで全てがわかる訳ではありませんが。
とにかく、PTSDという事は間違いない。
そして一番気をつけなければならない事は自殺しない事。
薬と自分の努力と時間さえ掛ければ症状は改善していくのだから。
絶望の底で遠くに希望が見えた気がしました。
リストカットも、自殺願望も、自己虐待も当たり前だったんだ。
それほど傷は深かったんだ。
見ない振りをしていたけれど、傷は癒されない限り痛み続けるんだ。
僕は激しい自殺願望と戦う決意をしました。
いつか、生きていて良かったと思えるその日まで生きるのだ、と。
今まで無視をしてきた傷ついた小さい頃の自分を癒そうと思いました。
そしてPTSDとの戦いが始まりました。
心的外傷後ストレス障害というのが日本名だそうです。
主に虐待児、性被害者などに表れる精神障害なのだそうです。
僕はPTSDなんだ・・・。
それを告げられた時は大きな衝撃と、少しの安堵感がありました。
自分が狂っていた訳じゃない、ちゃんとした病気だったのだと思えたからです。
それから狂ったようにPTSDについて調べ上げました。
PTSDチェックリストもやりました。
ほとんど全てに当てはまりました。
チェックリストで全てがわかる訳ではありませんが。
とにかく、PTSDという事は間違いない。
そして一番気をつけなければならない事は自殺しない事。
薬と自分の努力と時間さえ掛ければ症状は改善していくのだから。
絶望の底で遠くに希望が見えた気がしました。
リストカットも、自殺願望も、自己虐待も当たり前だったんだ。
それほど傷は深かったんだ。
見ない振りをしていたけれど、傷は癒されない限り痛み続けるんだ。
僕は激しい自殺願望と戦う決意をしました。
いつか、生きていて良かったと思えるその日まで生きるのだ、と。
今まで無視をしてきた傷ついた小さい頃の自分を癒そうと思いました。
そしてPTSDとの戦いが始まりました。
2007年11月21日水曜日
砕け散った心
ある日の事でした。
酷い頭痛に襲われました。
慢性的な頭痛はありましたが、それとは比にならないほどの頭痛でした。
僕は道に倒れ、救急車で運ばれました。
様々な検査を受け、結果が出ました。
原因不明。
それが検査の結果でした。
その後、いくつかの問診を経て僕は精神科送りになりました。
リスカ、自殺願望、過去の虐待。
その事で精神科へ行く事が決まったそうです。
「僕の心は壊れているのか?」
その時、初めて思ったんです。
今まで限界でした。
自分の精神状態なんて考える余裕はありませんでした。
後日、僕は精神科へ行きました。
「今日はどうされましたか?」
先生の優しい問いかけに今まで溜めていたものが噴き出ました。
「今まで…殴られたりしながら育って、兄貴を殺しかけた事もあったし、自殺しようとして二回も失敗して、もう死にたいんです。」
涙が溢れました。
負の感情が体を包み、今すぐにでも死んでしまいたい気持ちでした。
リスカを始めて何年経っただろう?
自殺を考えて何年経っただろう?
家族を憎んで何年経っただろう?
何も感じなくなって何年経っただろう?
友達に作り笑いを始めて何年経っただろう?
そう、僕の心はとうの昔に壊れていたんです。
そう思うと涙が止まらなかった。
自分に同情した訳じゃない。
慰めて欲しい訳でもない。
ただ哀れだった。
ただ・・・自分が哀れだったんです。
それだけなんです。
「PTSDゆっくり、治して行きましょうね。」
僕がPTSDだと知ったのはこの時が始めてでした。
気が付くと、僕はもう大学生になっていました。
酷い頭痛に襲われました。
慢性的な頭痛はありましたが、それとは比にならないほどの頭痛でした。
僕は道に倒れ、救急車で運ばれました。
様々な検査を受け、結果が出ました。
原因不明。
それが検査の結果でした。
その後、いくつかの問診を経て僕は精神科送りになりました。
リスカ、自殺願望、過去の虐待。
その事で精神科へ行く事が決まったそうです。
「僕の心は壊れているのか?」
その時、初めて思ったんです。
今まで限界でした。
自分の精神状態なんて考える余裕はありませんでした。
後日、僕は精神科へ行きました。
「今日はどうされましたか?」
先生の優しい問いかけに今まで溜めていたものが噴き出ました。
「今まで…殴られたりしながら育って、兄貴を殺しかけた事もあったし、自殺しようとして二回も失敗して、もう死にたいんです。」
涙が溢れました。
負の感情が体を包み、今すぐにでも死んでしまいたい気持ちでした。
リスカを始めて何年経っただろう?
自殺を考えて何年経っただろう?
家族を憎んで何年経っただろう?
何も感じなくなって何年経っただろう?
友達に作り笑いを始めて何年経っただろう?
そう、僕の心はとうの昔に壊れていたんです。
そう思うと涙が止まらなかった。
自分に同情した訳じゃない。
慰めて欲しい訳でもない。
ただ哀れだった。
ただ・・・自分が哀れだったんです。
それだけなんです。
「PTSDゆっくり、治して行きましょうね。」
僕がPTSDだと知ったのはこの時が始めてでした。
気が付くと、僕はもう大学生になっていました。
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