2008年4月7日月曜日

最後に…

このブログに載っている文章は楽しい話ではありません。

長い文章になりました。

これでこのブログは最後にしたいと思います。







思いを全て吐き出す事が出来ました。






少しでも何かを感じてもらえれば、こんなに嬉しい事はありません。

ちなみに僕は今、幸せです。

だから大丈夫。

支えてくれた全ての人に、ありがとうを言わせて下さい。













今まで本当にありがとう、これからも宜しく。

虐待を受けた人へ

どんなに辛かったことでしょう。

どんなに苦しかったことでしょう。

どんなに悲しかったことでしょう。







辛い経験は、自分を友達を大切な人を深く傷つけて、何処にも救いなんてありはしない。







誰にも理解なんてされない。

永遠に一人ぼっち。

助けて欲しいのに、抱きしめて欲しいのに、誰も心の傷なんて見てくれない。

どれほど愛情に飢えているのか、知ろうとさえしてくれない。








貴方は今までどれほど辛い思いを重ねてきたのでしょう。








親を殺してやりたいと思った事もあるでしょう。

そんな事を思っている自分を殺したいと思った事もあるでしょう。

自分なんて死んでも構わないと思った事もあるでしょう。

殺して欲しいと思った事もあるでしょう。








辛い時は辛いって言っても良いんです。








悲しければ悲しいって言っても良いんです。

口にも出せないほど、辛く悲しいのなら態度で示して下さい。

死んでも良い子どもなんて、一人も居ないんです。







虐待を受けたのは決して貴方のせいではありません。

全ての責任は親にあります。

親をかばいたくなる気持ちは痛いほどわかります。

家族の良い思い出もあったりするんですよね?

あんな幸せな時だってあったし…そう思う気持ちも分かります。

子どもは生まれながらにして、親を愛する感情があるんです。

だから自分の親はそんなに酷くなかった、と自分に暗示をかけてしまうんです。

そう思う事で一番苦しむのは自分なのに、そうしてしまうんです。









虐待の傷は深くて、一気に、一人で乗り越える事なんてなかなか出来ません。

休み休み、ゆっくり、焦らずに越えていくんです。









だから、もし苦しい思いをしているのなら病院に行って下さい。







目に見えないだけで、傷は傷なんです。

傷を治すのは医者に任せて下さい。

貴方はゆっくりで良いから思いを吐き出して下さい。








そして、今まで頑張って苦しみに耐え続けた自分を褒めてあげて下さい。








「よく頑張ったね…ありがとう。」と。

これからは肩の力を抜いて、ゆっくりと生きて欲しいと願っています。

心を病んだ友達を持っている人たちへ

友達が心を病んだ時、どうしてあげれば良いのか分からなくなってしまいます。

だって、自分とは全然違うから。

そう、全然違うんです。

だから、解からない事は素直に分からないと言ってあげて下さい。

分からないのに分かった振りをすると、結局もっと深く傷つける事になってしまいます。

それは拒絶しろと言っているのではありません。

貴方にとって、友達が本当に大切な人ならば、分からない所も含めて隣りにいてあげて下さい。

一人じゃないんだと、何度も言ってあげて下さい。

切り刻まれた腕を優しくなでてあげて下さい。

自傷を止められなくても責めないで下さい。

切りたくて切っている人なんて一人も居ません。

死にたくて、でも、それと同じぐらい生きたくて切っているんです。








一言だけ「頑張ったね、もうそんなに頑張らなくて良いよ。」と言ってあげて下さい。













そんな友達のお陰で僕は自殺をせずに済んだのです。

親の人たちへ…

もし、このブログを読んでいる貴方が親という立場にいるのなら。

親がどれほど子どもにとって、強力な力を持っているかを、少しだけでも良いから感じて欲しいと思います。

自分の為ではなく、子どもの為に子育てをしてあげて下さい。

そして親の義務があります。

子どもの精神、身体の安全を確保出来ていますか?

子どもが居るのであれば、これを拒否する権利は誰にもありません。







自分の評判が気になるし、子どもの出来が良い方が親としては良いのも理解出来ます。

子どもが気に入らない事をした時に、殴りたくなったり、怒鳴りたくなる気持ちも分かります。








でも、その前に一度だけ深呼吸をして考えてみて下さい。







本当に手を上げるべきなのか。

本当に怒鳴るべきなのか。

親として正しいのか。








子どもは想像以上に鋭い感覚を持っています。







親が怒りを持って接したのなら、その何倍もの怒りとなって子どもの心に刻まれます。

夫婦喧嘩を子どもの目の前で、何度も繰り返したのであれば、子どもは自分のせいだと自分を責め始めます。

今は目に見えなくても、溜まり続ければその思いはいつか噴き出します。

「お前はダメだ」と言い続けたのなら、本当にダメになってしまいます。

「頑張れ」と言い続けたのなら、自分を殺してでも限界まで頑張るようになってしまいます。








自分の子どもを自殺するほど追い詰めたい親なんて、一人も居ないと僕は信じて疑いません。

だからこそ、親としてあるべき姿で子どもと接して下さい。

頑張ったら、褒めてあげて下さい。

失敗してしまったら、失敗しない方法を教えてあげて下さい。







当たり前な事を、当たり前にしてあげて下さい。













僕のような子どもが少しでも減る事を願い続けています。

感謝

両親から長男から受けた傷は、PTSDという形で僕の心に深い傷を負わせました。

誰からも理解されない、厳しい時間を過ごすことになりました。

涙が出ないほど絶望することになりました。






けれど、今は違う。






一人かもしれないと思った時に、仲間がちゃんと心の中に居る。

一人なんかじゃない、と何度も救ってくれる。

もう孤独の闇は心を支配することは出来ません。

だから、もう昔の話にしても良いのかも知れません。

「苦しかった時もあったけど、今は幸せだよ。」

そう胸を張って言っても良いんだろう。






だって、もう一人じゃないから。






苦しい時間は、本当に耐え難いものでした。

結局、弱い僕は三回も人生を投げ出そうとしました。






何度も挫けました。

悲しみました。

諦めました。

怒りました。

呪いました。





そうすることでしか感じられない、本当に大切なものがある事に最近気が付きました。

闇の部分を通してしか得られない幸せがあることに。

誰の人生も薔薇色なんかじゃない。

決してそんな救いがあるものではない。

辛く苦しいものです。







幸せはそんなに大袈裟にやってきたりはしない。







幸せは日常の中に、とても自然に溶け込んでいるんです。

当たり前な顔をして、当たり前のように。

そして、それは決して当たり前なんかじゃない事に気付く時、僕は何にも勝る幸せを感じます。







何故なら幸せは一人では味わう事が出来ないから。






大切な仲間、趣味、恩師たちが僕の人生をこうしてくれた。

確かに人は何よりも汚く、弱いものです。

でも、何よりも綺麗で、強いものなんです。













PTSDという闇は、間違いなく僕をさらに幸せにしてくれました。

2008年4月2日水曜日

それから…

あの未遂から、もうすぐ一年。







僕の状態はとても安定したものでした。





塾の講師のバイトをしながら。

彼女が出来たり、別れたり。

些細な事で後輩と大喧嘩したり。

酒を飲んで大騒ぎしたり。







他愛も無い日常が、それからはずっと訪れていました。






平凡な日々。

僕は幸せを噛み締めていました。

これほど落ち着いた平穏な日々が、自分の人生に訪れるなんて思いもしなかった。







毎日が感謝の連続でした。







今まで生きてこれたのは、誰でもない大切な仲間のお陰でした。

一人でなんて生きてこれなかった。

仲間の誰一人として、僕を支えてくれなかった人なんて居なかった。

こんな馬鹿な僕を。

そう思うと、出ないくせに涙を流したくなった。







そして、最近でも特に印象深かった人との出会いが、僕を大きく支えてくれる事になりました。






あれは何度目かのオフ会の事でした。

初めて会う一人の女の人を合わせて三人でオフ会をした事がありました。

その人は紫のブーツで、髪の毛の一部が緑の変わった人でした。

綺麗な人です。







初めて会ったとは思えないほど意気投合したのを覚えています。






夜は一緒にきりたんぽを食べて、何気無い話をしていました。

自然とケラケラ笑えていたと思います。

そして話せば話すほど、僕と似ている所がある人なんだなぁと思いました。







初めて会う人に自分からあんなに自分の事を話すのは初めてでした。







話したいと思った。

もっと自分の事を知って欲しいと思った。

それからも連絡を取りたいと思ったので、その人が管理人をしているコミュを教えてもらって、オフ会の後に僕は参加しました。

今も参加しているコミュです。

そして、非公開コミュの副管理人になってもらう約束をしました。

とても真っ直ぐな、強い意志を持っている人だと思ったからです。













それから・・・今も、これからも大切な仲間の一人になってくれました。

2008年2月9日土曜日

忘却

 気が付くと朝だった。

死のうと思ったはずなのに…さっきまで夜だったのに…。

右手には万能カッターが握られていた、左手には携帯が握られていた。

携帯の着信を見てみると14件。

何がなんだか解からない俺はとりあえず、電話してきた友達に電話した。







「昨日電話貰ったみたいなんだけ「バカタレがお前は!!!」





驚いた。

そして昨日何があったのかを聞いてみた。

すると、ショッキングな事実が判明した。







万能カッターを首に当て自殺しようとした所までが俺の記憶。






それから俺は友達に遺言を残そうと電話をしたみたい。






「今まで本当にありがとう、ごめん・・・・・・。」





この言葉を最後に電話が切れたらしい。

友達は俺のマイミクにメッセージを送って、






「今、のりが自殺するかもしれないので電話して下さい!」





と送ってくれたらしい。

そしてマイミクの友達も何回も電話したけど結局俺は出なかった。

もちろん、寝ていたわけじゃない。

多分、フラッシュバックに耐えられずに気絶してしまったんだろう。

そして朝一で電話したら、さっきのようなやりとりになったわけです。






何回も謝った。





時には泣きながら謝った。

大切な人たちを傷つけた。

深い罪悪感を感じたし、本当に申し訳無いと思った。

本当にごめん。

でもね、俺はあの時限界だったんだ。

何度も我慢した自殺願望を実行してしまったんだ。

気絶したのは運が良かったから。

あのまま死んでいても何もおかしくないような状況だった。

未遂で済んだのは運命だと思う。

俺はこれから生きていかなければならないんだと思う。













今では未遂で本当に良かったと思う。

2008年2月5日火曜日

ただ死にたいだけなんだ

そして僕の体調はまた崩れました。

レスは副管理人のお坊さんにお願いしました。









自分が自分で無い感覚。

フラッシュバック。

アムカ。









酷い状態でした。

自分の手なのに誰の手か解からない。

自分の見ている景色なのに、誰の景色か解からない。

怖くなって足を叩いても少ししか感覚がない。






僕は誰なの?どうして生まれなければならなかったの?






フラッシュバック。

過去の虐待の景色が綺麗に映し出される。

あの地獄絵図がまた頭に入ってくる。

ただ震えることしか出来なかった。







「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」








そう言いながら震えていた。







アムカ。

自分の手なのに誰の手かも解からない腕を切り刻む。

痛みがこの腕が自分のものだと教えてくれる。

あぁ自分の腕なんだ・・・。

縦、横、斜めに切り刻んだ腕からは血がダラダラと流れました。







辛かった。






いつまでこんな事が続くんだ!

何度も何度も終わりの無い苦痛を受け入れるだけ、僕の心は強くない。






「死にたい、もう耐えられないよ」







大切な仲間には本当に申し訳ないけれど、本気で死のうと思った。













ゆっくりと万能カッターを首に当てた。

2008年2月4日月曜日

副管理人

ミクシーのコミュの管理をしていた時。

前々から「副管理人」の設定が叫ばれていたのに、管理局が対処したのでしょう。

副管理人が指名できるようになりました。

誰の書き込みにでも必ずレスを付ける事を目的とした僕のコミュでは非常に有効でした。

さすがに一人でレスを付け続ける事にはかなり無理がありました。

それまでも精神のバランスがおかしくなって、何度もレス付けを休んでいた事実もあって。

ピンチヒッターが必要だと痛感していました。

副管理人になってもらう人に迷いはありませんでした。







この前、僕にリンク申請を送ってくれたお坊さんです。






直感で

「この人だ!」

と思いました。

リアルで人を助けているプロ、NPOの活動もしている。

こんなに心強い味方がどこにいるだろうか?

すぐにメッセージを送り、副管理人になってもらえないかと尋ねました。

快諾をしてもらい僕はとても安心したし、本当にありがたかった。








会った事も無い人をどうしてそこまで信用したのか、今でも解かりません。







ただ一つだけ確かな事は、その選択に間違いは無かったという事。

参加者が一万人を越えた今でも非常に大きくて、大切な存在です。

そして、副管理人になって頂いた後もときどき僕は体調を崩しました。

そのたびにレス付けに回って頂きました。

去年も、今年も、おそらく来年も沢山支えてもらう事になると思います。

たぶん何かの縁なのだと思います。








10月ぐらいだったでしょうか。







僕は一つのアクションを起こす事にしました。

それまで僕の過去をコミュで話す事はありませんでした。

何人かから「過去何があったんですか?」と尋ねられた事もありました。

どんな過去があったのか知らない奴なんて気味が悪くてレスなんて欲しく無いのかもしれない。

そんな事情もあって、僕は過去の話トピックで立てました。

簡単にまとめて、簡単な説明をして。








反響がありました。







沢山の暖かい言葉が寄せられました。

なんで俺なんかに・・・とも思いました。

自分自身の価値というのは、全くと言って良いほど知らなかった。

こんな自分に出来る事があるなら、と思ってコミュを管理していただけ。








最低でも僕は自分に対して、僕の仲間と同じ扱いをしても良い。








仲間を大事にするのと同じぐらい、大事にしても良い。

きっと、時間を掛ければ自分の良い所を心から認める事が出来る。

それを信じて今も過ごしている状態です。

前よりは自分を大切に出来るようになりました。








虐待、という事実。







味わった苦痛は一言で形容は出来ません。

「自分」から人間らしさを奪い取るのに事足りる事実。

僕の口から、サバイバー達の口から出る言葉は「普通」の家庭で育った人には、フィクションのように感じられるかもしれません。








自分が自分で無い感覚。








それは「自分」でいては耐えられない現実があったから。

殴られているのは、罵倒されているのは、倒れているのは、血が出ているのは自分じゃない。

虐待という状況下で自分を大切にする気持ちを微塵でも持っていたら、心は死んでしまうから。

「人間」という動物として本能がそう感じさせていたんです。

氷を触ったら冷たいと思うように、逆らいようの無い本能がそうさせていたんです。













リスカ、自己嫌悪・・・・・・自分を傷つける事でしか、生きてこれなかった。

2008年2月3日日曜日

支え

お坊さんと相互リンクを貼った当時の家庭環境はと言えば。








夫婦喧嘩もあまりしなくなった我が家は平穏でした。






何度か長男と次男の衝突があり、それを煽った事がありましたが。

静かな我が家…。

静かでも、騒いでいても居心地は良くありませんでした。

千切れた絆はそう簡単には元に戻らないのでしょう。







長男は何かと僕の世話をやく事がありました。







タバコいる?とか酒飲む?とか。

彼なりのお詫びのつもりだったのだと思います。

一度も過去の事について謝らなかった長男。

それが許せずに殺意さえ抱いた時期もありました。








このままじゃ長男を殺してしまう。







何度もそう思いました。

長男を殺す事だけを希望に生きていた事もありました。

そして怒りの炎は何年も燃え続け、最後には自分自身を焼き尽くそうとしていました。









けれど、時間と共に僕の視野が広がったのかもしれません。








当時の長男の置かれていた環境を汲み取る事が少しは出来るようになりました。

だから、復讐心も和らいであれは仕方無い事だったんだ、と思うようになりました。

両親に対しても同じような気持ちを持っていました。








生まれて初めて怒りから解放された時でした。







何年も燃え続けた炎がゆっくりと小さくなっていくのを感じました。

おそらくコミュでレスを付ける事で、今までの怒りや悲しみが浄化されていたのだと思います。








レスを付けて救われていたのは僕自身だったのです。







今だから解かる。

あの時の言葉の殆どは過去の自分へ向けたものだったのだと。

許す事ではなく、どう受け入れ対処していくか。

無理をせずに時間を掛けろと自分に言っていたんです。

どんな負の経験も無駄にはならないから、死んではならないと。







それに気付いたのはつい最近です。






まだ気付いていないことも沢山あると思います。

コミュと家庭、僕の心の傷は深く繋がっていました。













そんな時にミクシーのシステムが変わりました。

2008年1月22日火曜日

深い穴

一気に心のバランスが崩れた後。

毎日、腕を切っていました。

縦、横、斜めに。

二の腕からの血はダラダラと流れ、手の平で溜まっていました。







激しい離人症の症状が出ていました。





また、あの感覚だ。

何も感じない。

自分が自分で無いような感覚。

自分の体が自分の意思で動く他人の体のように思えました。







一番注意するべきは自分の精神状態でした。





気付いた時は、少し遅かった。

もう少し早ければ、腕の傷も少しは減ったかもしれない。








しばらくレスを休んだ後、またレスをし始めました。







書き込みにレスしなきゃ・・・。

放っておけない。

もし今の自分と同じ様な人が居たら、レスが何かの役に立つかもしれない。

辛い思いも、吐き出して言葉を掛けられれば和らぐかもしれない。

自分は大嫌いだけど、人になら言葉を掛ける事が出来るから。







そうやって、何度も休みは復帰しての繰り返しをする中で。






ある日、メッセージが届きました。

知らないお坊さんからでした。






「貴方のコミュニティと私のコミュニティで相互リンクをしたい。」






簡単に言うとこんなメッセージでした。

そのお坊さんのメッセージで初めて水谷修という人を知りました。

夜回り先生と呼ばれている方です。

夜の繁華街で非行少年、少女に声を掛けて回った素晴らしい方です。

お坊さんのコミュは夜回り先生に深く関係している所でした。

当時、僕は夜回り先生を知らなかったので、一度リンクは断りました。








その日のうちに夜回り先生について調べ、今度は僕からリンクのお願いをしました。







非行少年。

本格的に何か悪い事はしていないつもりだったのですが、僕は不良少年の部類に入っていたと思います。

だから、夜回り先生のような方と出会いたかった。

そして、お坊さんからのメッセージは何かの運命だと思ったんです。







大切なのは夜回り先生の意思だから、それを受け継ぐ人も夜回り先生なんだ。






そんな風に思いました。













そして、これからこのお坊さんはとても重要な人になっていきました。

2008年1月20日日曜日

反動

時間が経つのは、とてもゆっくりでした。

確かにネットには依存していたけれど、別に無くてはならないものじゃなかった。

ただ、書き込みにレスをしたかった。







自分の事を考えずに済んだのは最初の頃だけでした。






自分のトラウマと重なる書き込みがあると、すぐに心は崩れました。

フラッシュバックを起こしたり、腕を切ったり。

そして、日増しにそれは起こる様になってきました。

なぜなら、トラウマと直結する書き込みが増えたからです。






悪い事なんかじゃないから、俺みたいな馬鹿どうでも良いから、吐き出して欲しい。






そして、書き込みにはレスを返しました。

一人で毎日書き込まれる文章にレスをしていました。

何かをしていないと駄目だったんだと思う。

もう一人の俺はすぐに死にたがる。

だから何かをしてないと。









そして、遂に反動が来た。






書き込みに夢中で、自分の事を何も考えなかった反動が。

それは大きな闇でした。

アムカは当たり前、自殺願望まで出てきた。






なんで死にたがるのかって?





辛いからが一番の理由じゃないんだよ。

産まれた事が間違いだったからなんだ。

僕みたいなキチガイは産まれちゃいけなかったんだ!!

「産まれて来てごめんなさい」と部屋の隅で小さい声で何度も何度も言った。







反動はフラッシュバックまで引き起こした。






もちろん、長男に暴行を加えられていた時のです。

見慣れた光景を見て、いつまでも苦しい思いをする。

あの時のあの場所へ連れて行かれてしまう恐怖。

体がどれだけの激痛だったかをしっかりと覚えてる。








ただ、震えながら「産まれて来てごめんなさい」と言う事しか出来なかった。







多分、涙は流れてないと思う。

顔はいつもの無表情。

部屋の隅で震えながら足を抱えて座っていました。








過去が過去になるにはどうしたら良いのか、答えは知っていた。







時間と努力をする事。

挫折しそうになる。

でも、弱い自分なんて許せなかった。






強く、もっと強くならなきゃ。





虐待が染み付いた心は、決して弱さを許さなかった。

誰よりも強くあることを求めた。

その先には孤独という名の絶望があるだけなのに。













その日からアムカは日課になりました。

2008年1月19日土曜日

没頭

それから、僕の日課は書き込みへのレス付けでした。

日々、増える書き込みに一つ一つレスを返す。

時間は掛かりましたが、負担に思った事はありませんでした。

一つの書き込みに15~30分、多い時は1時間ぐらい掛けて。








そうする事で自分の事を考えずに済んだからなのかもしれません。







多分、あの頃にまともに自分の心とは向き合えなかったのだと思います。

今もそうですが、弱く愚かな人間でした。

それでも、レスのお礼を言われると嬉しく思いました。







こんな自分でも出来る事があるんだ。






受け入れる、ただそれだけ。

ただそれだけの事も満たされず、心の傷と闘う人がこんなに居る。

書き込みが増える度に心が締め付けられるようでした。

だけど、全ての書き込みを真剣に読み、真剣にレスをしました。







もちろん、良い事ばかりではありませんでした。






受け入れる場所として作ったコミュニティ。

しかし、僕が生理的に拒絶反応を示す書き込みも少なからずありました。







受け入れる場所。





自分にとって都合の良い人間だけを受け入れるんじゃない。

最低限のモラルさえ守れるのなら、誰でも受け入れる場所にしなければ。

自分の独断や偏見で門を狭くしてはならないんだ。

嘘の言葉は一度も並べたつもりはありませんが、そういった書き込みに対してはレスは短めだったかもしれません。









人数もそんなに増えないだろうし、少しぐらいの我慢は必要だろう。







そのぐらいに考えてました。













ネットに依存する事で、自分の事を一時的に忘れようとしたのだと思います。

2008年1月14日月曜日

前だけを見て

ミクシー内でコミュニティを作ってから、僕は不安定な心を何とか保ちながら管理人をしていました。

そして、需要はすぐにありました。

コミュの参加者は一日平均で10人ずつ増えていきました。








毎日書き込まれる悲痛な叫び。






まるで自分の分身を見ているかのような書き込みさえありました。

これだけ傷ついた人が居るんだ・・・。

生きているだけで体が裂かれていくような苦痛を感じながら生きている人の如何に多い事か。








リストカット、いじめ、自殺願望、鬱、死別。







コミュニティを作ってから一週間ほどで、こういった書き込みがありました。

どれほどこの人たちは辛いんだろう。

誰にも言わず、友達にさえ言えずに一人で抱え込んできたんだろう。

見ているだけで、僕の心まで苦しくなってくるような書き込みばかりでした。









何とかしたい、生きていて欲しい。








偽善と言われても構わない、本当にそう思った。

顔も見たことも無い相手に何故そこまで親身になったのか。

それは当時は解かりませんでした。

きっと、自分に重ね合わせていたんだろうと思います。








そして、書き込みには一つ一つ返事を書きました。








真剣に読んで、何度も書き直しながら。

時には涙を流しながら返事を書きました。

それだけ悲痛な書き込みでした。








誰にも言えなかった苦しみを吐き出して欲しい。







強くそう思いました。

今もその思いは変わりません。

避けようの無い苦しみを、何故人は味わう必要があるのだろう・・・?

答えの無い疑問は自分の中で空回りするだけでした。








きっと神様なんて居ないんだ。







諦めたような、ため息が出ました。













それから毎日のように書き込みは増えていきました。

2008年1月3日木曜日

言えない心の傷

家族を見て泣いた日の夜。

僕の心はいつもよりも軽くなったような気がしていました。

涙が何かを流してくれたのかもしれません。

そして、急に僕の視野が広くなりました。








痛みを知る事で、優しくなる事が出来る。

心の痛みという見えない部分の闇を、僕は感じる事が出来る。

なぜなら、僕自身が通ってきた道だから。

まだ通っている途中だけど、どうやってここまで乗り越えてきたのかは知っている。









今、世の中には








誰にも言えず、深い傷を負ったまま生きている人がいる。

誰にも悟られないように傷を隠し生きている人がいる。

居場所も無く、ただ苦しみながら生きている人がいる。

涙さえ流せないほどの絶望の中で生きている人がいる。

自分の手さえ見えない暗闇で生きている人がいる。









今までの自分がそうであったように。









そんな人たちの為の居場所が必要だと思ったんです。

逃げても良い、生きてさえいれば。

生きていればきっと傷は癒える。

生きる事から逃げなければ、きっと大丈夫なんだ。

半ば願いにも近い気持ちでした。

そして、僕はMIXIの中にコミュニティを立ち上げる事にしました。

名前は「言えない心の傷」。













まだ癒えきっていない心で立ち上げたものが、僕の人生を少しずつ変えていく事になるなんて想像もしなかった。

2008年1月1日火曜日

氷点

あの頃の僕の精神は非常に不安定でした。

何も感じない時がほとんどでしたが、急に涙が溢れる事があったり。

何も感じない時を言葉で表すなら、「凍った心」だと思います。

氷のように固く、冷たい心でした。

自分で自分が解からない。

ただ激しい自殺願望だけは消える事はありませんでした。







そして去年の八月。






忘れもしない。

外での用事を済ませ、帰る途中でした。

時間は夕暮れ。

夏の夕暮れらしく、空は紫色になっていました。

歩きながらふと目に入ってきたものがありました。








それは家族でした。







僕は彼らを後ろから見ていました。

父親と母親の間で小さな男の子が手を繋いで歩いていました。

その後姿はとても幸せそうに見えました。

なんとなく足が止まって、見つめてしまいました。

母親が片手に買い物袋を持っていました。

これから夕食を作るのでしょう。

ありふれた普通の家族でした。









夕日を正面にして、歩くその姿はとても綺麗だった。








そしてその家族は道を曲がって僕の視界から、ゆっくりと消えていきました。

その瞬間。









涙が溢れました。









何故だろう?

今でも解かりません。

涙が溢れたんです。

羨ましかったのかもしれません。

自分もあぁやって歩きたかったのかもしれません。

単純な憧れだったのかもしれません。











僕の心の傷を優しく包んでくれたような気がしました。















心はゆっくりと氷点から這い上がろうとしていました。