2008年1月22日火曜日

深い穴

一気に心のバランスが崩れた後。

毎日、腕を切っていました。

縦、横、斜めに。

二の腕からの血はダラダラと流れ、手の平で溜まっていました。







激しい離人症の症状が出ていました。





また、あの感覚だ。

何も感じない。

自分が自分で無いような感覚。

自分の体が自分の意思で動く他人の体のように思えました。







一番注意するべきは自分の精神状態でした。





気付いた時は、少し遅かった。

もう少し早ければ、腕の傷も少しは減ったかもしれない。








しばらくレスを休んだ後、またレスをし始めました。







書き込みにレスしなきゃ・・・。

放っておけない。

もし今の自分と同じ様な人が居たら、レスが何かの役に立つかもしれない。

辛い思いも、吐き出して言葉を掛けられれば和らぐかもしれない。

自分は大嫌いだけど、人になら言葉を掛ける事が出来るから。







そうやって、何度も休みは復帰しての繰り返しをする中で。






ある日、メッセージが届きました。

知らないお坊さんからでした。






「貴方のコミュニティと私のコミュニティで相互リンクをしたい。」






簡単に言うとこんなメッセージでした。

そのお坊さんのメッセージで初めて水谷修という人を知りました。

夜回り先生と呼ばれている方です。

夜の繁華街で非行少年、少女に声を掛けて回った素晴らしい方です。

お坊さんのコミュは夜回り先生に深く関係している所でした。

当時、僕は夜回り先生を知らなかったので、一度リンクは断りました。








その日のうちに夜回り先生について調べ、今度は僕からリンクのお願いをしました。







非行少年。

本格的に何か悪い事はしていないつもりだったのですが、僕は不良少年の部類に入っていたと思います。

だから、夜回り先生のような方と出会いたかった。

そして、お坊さんからのメッセージは何かの運命だと思ったんです。







大切なのは夜回り先生の意思だから、それを受け継ぐ人も夜回り先生なんだ。






そんな風に思いました。













そして、これからこのお坊さんはとても重要な人になっていきました。

2008年1月20日日曜日

反動

時間が経つのは、とてもゆっくりでした。

確かにネットには依存していたけれど、別に無くてはならないものじゃなかった。

ただ、書き込みにレスをしたかった。







自分の事を考えずに済んだのは最初の頃だけでした。






自分のトラウマと重なる書き込みがあると、すぐに心は崩れました。

フラッシュバックを起こしたり、腕を切ったり。

そして、日増しにそれは起こる様になってきました。

なぜなら、トラウマと直結する書き込みが増えたからです。






悪い事なんかじゃないから、俺みたいな馬鹿どうでも良いから、吐き出して欲しい。






そして、書き込みにはレスを返しました。

一人で毎日書き込まれる文章にレスをしていました。

何かをしていないと駄目だったんだと思う。

もう一人の俺はすぐに死にたがる。

だから何かをしてないと。









そして、遂に反動が来た。






書き込みに夢中で、自分の事を何も考えなかった反動が。

それは大きな闇でした。

アムカは当たり前、自殺願望まで出てきた。






なんで死にたがるのかって?





辛いからが一番の理由じゃないんだよ。

産まれた事が間違いだったからなんだ。

僕みたいなキチガイは産まれちゃいけなかったんだ!!

「産まれて来てごめんなさい」と部屋の隅で小さい声で何度も何度も言った。







反動はフラッシュバックまで引き起こした。






もちろん、長男に暴行を加えられていた時のです。

見慣れた光景を見て、いつまでも苦しい思いをする。

あの時のあの場所へ連れて行かれてしまう恐怖。

体がどれだけの激痛だったかをしっかりと覚えてる。








ただ、震えながら「産まれて来てごめんなさい」と言う事しか出来なかった。







多分、涙は流れてないと思う。

顔はいつもの無表情。

部屋の隅で震えながら足を抱えて座っていました。








過去が過去になるにはどうしたら良いのか、答えは知っていた。







時間と努力をする事。

挫折しそうになる。

でも、弱い自分なんて許せなかった。






強く、もっと強くならなきゃ。





虐待が染み付いた心は、決して弱さを許さなかった。

誰よりも強くあることを求めた。

その先には孤独という名の絶望があるだけなのに。













その日からアムカは日課になりました。